パリの窓から(40) 2016年12月8日レイバーネット日本掲載
4つの選挙、民主主義とメディア
アメリカの大統領選挙では再び、議会制民主主義(代表民主制)について考えさせられた。ヒラリー・クリントンはトランプより250万票以上も多く得票しながら、選挙人制度のせいで敗れたのである(2州をのぞき「勝者総取り方式」が適用され、その州でトップの候補に選挙人全員が投票するため、選挙人を多数獲得できた候補が勝つ)。アメリカ史上で対立候補より少ない得票で当選した大統領は、トランプを含めて5人存在する。そのうち20世紀以降の前例はジョージ・W・ブッシュ(息子のほう、2000年)のみで、今回ほど大量の票差が出たことはかつてない。選挙人制度は奴隷制があった時代に定められた間接選挙法で、アメリカの歴史と政治事情に詳しくない者にとって理解しにくいシステムだが、250万票以上の差をつけても敗れることが起きるようでは、公平な選挙制度とはいい難いのではないだろうか。
また、この選挙人制度のために、スイング・ステートと呼ばれる二大政党のどちらに転ぶかわからない州での勝利に全体の選挙結果が左右されることも、腑に落ちない。カリフォルニアの住民とミシガンの住民とでは、一票の重さが異なるわけだ。アメリカでは(フランスや多くの国でもそうだが)歴史的に、2大政党(右派・左派)のどちらの支持者が多いか、傾向がはっきり現れる州(地方)が多いために、その差があまり顕著でなく、どちらに転ぶかわからない州が勝敗の鍵を握ることになる。ある意味、政治について日頃から意見があるわけではない人々の浮動票が決め手となるのだ。
そして今回、改めて驚かされたのが、アメリカでの投票率の低さだ。まだ公式な最終結果が出ていないが、今回の投票率は54,2%(選挙年齢人口VAPに対する率。VAPから受刑者など選挙権のない人々を除いた人口VEPに対する率は58,8%だが、歴史的統計が前者なのでVAPに統一)。オバマが初当選した2008年の投票率58,2%は近年では最高記録だったが、今回は2012 年の54,9%にも至らなかった。1970年代以降、アメリカ大統領選の投票率はずっと6割以下で、クリントン2期目の1996年は49%、クレームがついたブッシュ(息子)初当選の2000年は51,2%で、有権者の約半数が棄権したほど低い。ちなみに、1904年以降に投票率が66%を超したことはなく、第二次大戦後は49〜63%である。最も世界の動向に影響を与えてきた国の政治は、この程度の市民参加で決まっていたのである。
(http://www.presidency.ucsb.edu/data/turnout.php)
オバマは2008年、棄権が多かった黒人や若者層に働きかける緻密なキャンペーンによってスイング・ステートを勝ち取り、得票を増やした。今回、黒人の投票率は後退し、従来の民主党支持層の棄権率も高かった。とりわけ、ラストベルトと呼ばれる脱工業化が進んだオハイオ、ミシガン、ペンシルベニア、ウィスコンシンなど(みなスイング・ステート)の労働者層や低所得層、黒人、若者などからヒラリーは多く得票できなかった。財界と密接したエスタブリッシュメント政治を体現するヒラリーに対して、拒絶反応が強かったからだと分析されている(バーニー・サンダースが候補者だったら、もっと得票できただろう)。しかし、低所得層が大量にトランプに投票したわけではない。年収5万ドル以下の投票率はヒラリーが52%、トランプ41%だった。フランスでもそうだが、失業者など社会から排除された層は棄権率が高く、選挙登録をしていない人も多い(黒人の選挙登録がしにくい州もある)。アメリカやヨーロッパで労働者層の代弁者だった左派政党はここ20年くらい、製造業の空洞化が生んだ低所得層に対して魅力的な政策を提示できないために、支持を失った。その意味で、若者たちの支持も受けたバーニー・サンダースの現象は興味深い。
ところで、今回の大統領選では、トランプの勝利を世論調査やジャーナリスト、政治・社会学者などコメンテーターのほとんど誰も予測できなかったことが、大きな衝撃を与えた。実は映画監督のマイケル・ムーアが7月に、的確な分析によってトランプの勝利を予測していたが、民主党幹部と同様、大手メディアや専門家はその警告を信じなかった。マイケル・ムーアが分析した現実を取材した報道もあったのだが、トランプが当選する可能性を信じたくないという心理が働いたのかもしれない。
予測が外れたといえば、EU離脱派が勝ったイギリスの国民投票の例につづき、来春の大統領選に向けて11月後半に行われたフランスの保守・中道候補者選挙でも、世論調査で1位だったジュペ元首相と次点のサルコジ元大統領が敗退した。フィヨン元首相は第1次投票からジュペを大差でひき離し、第2次投票では66,5%を得票して保守陣営の候補に選抜された。
フランスでは公選(直接選挙)の大統領が存在するのは第五共和政になってから(1958年)で、政党内で党員による候補者選挙が始まったのは1995 年(社会党)だ。2002年の大統領選以降は他の党にも広がり、党員以外の市民も参加できる候補者選挙が2011年(緑の党、社会党)から導入されたが、保守・中道によるこのタイプの選挙は今回が初めてである。一般市民も参加できる候補者選びは、より民主的といえる反面、メディアが騒ぐために人気投票的な要素が強まったことも否めない。実際、近年は政策やヴィジョンより、政治家の個性が前面に打ち出される傾向が強い。メディア戦略が過大して、メディアが政治家の人気をつくりあげているという印象さえ受ける。たとえば、11月末に大統領選に立候補したエマニュエル・マクロン前経済大臣にしても、メディアが騒がなければ出馬できなかっただろう。政党に属さず、政治運動の経験が皆無(国会・自治体の選挙に出たこともない)の大統領候補は、フランスでは非常に珍しい。また、高級官僚出身でマーチャントバンク勤務、オランド大統領府官房長官補佐、大臣というキャリア(エスタブリッシュメントそのもの)を経ていながら、「アンチ・システム」を自称しているところも、トランプ現象に通じるものがある。
もっとも、既成政治家(政党)は信用できないという市民の政治離れ現象はフランスをはじめヨーロッパではかなり前から進んでいて、さまざまなポピュリズム(イタリアの五つ星運動、 イギリス独立党、フランスの国民戦線など)が得票を延ばしている。そのため、最近ではサルコジ元大統領やフィヨン元首相をはじめ、30年以上の古参政治家までが「アンチ・システム」をレトリックに使い、言葉が何の意味もなさない状況を悪化させている。
さて、「右派・中道の大統領候補者選挙」の世論調査では、2年前に大統領選出馬を表明したジュペがずっと優位だったが、投票の少し前からは支持が下降し、フィヨンへの支持は急上昇していた。左派の市民にも(サルコジ出馬を阻むために)投票する者がいると言われ、どんな人が投票するかも参加人数も読めない選挙の予測は難しかったといえる。結局、この候補者選挙には440万人近く(有権者の10%弱)が参加し、そのうち15%は左派の市民だった。
フィヨンの勝利は、右派の有権者がタカ派の候補者を支持したことを表している。とりわけ社会面で中道的なヴィジョンを掲げたジュペに対して、フィヨンの主張にはテロ以後いっそう強まる反イスラムの言説とフランス伝統主義が表れていた(サルコジもその路線だったが、フィヨンのほうが信頼をおけると判断されたのだろう)。同性婚に反対したカトリック系保守層もフィヨンを支持した。経済政策では労働時間延長(賃金据えおき)、退職年齢ひきあげ、社会保障の民営化、富裕税廃止、50万人の公務員削減など、過激なネオリベラル改革をフィヨンは主張した。低所得層をつかめる政策とは思えないが、フィヨンに投票したのは都市部の比較的裕福な層、65歳以上、退職者が多かったと分析されている。つまりフィヨンは、右寄りの伝統的保守の候補者だといえるだろう。
メディアがジュペを有力な大統領候補と見なしていたのは、国民戦線の支持率が20〜30%という状況(2014年の得票と世論調査から)において、弱体化した左派(オランドが再出馬すると思われていた)は第二次投票に残れないだろうという予測による。2002 年大統領選のときのシラクのように、極右との対決において中道・左派の票も集められる候補のイメージ(期待?)に、ジュペが合ったのだろう。しかし現実には、右派・中道の候補者選においてはもっと右寄りの保守の候補が求められたのである。政治動向をつくりあげてしまうように見えるメディアや世論調査に対する有権者の反発、という面もあったかもしれない。
一方、左派には実際、フィヨンや国民戦線のマリンヌ・ルペンより多く得票できそうな候補者が今のところいない。オランド大統領は12月1日に立候補を断念したが、2014年の地方選挙と欧州議会選挙における大幅な後退が示すように、社会党は衰弱した。緊縮政策、二重国籍剥奪提案、ネオリベラル要素の強い労働法の強行採決などによって、オランド政権は社会党支持者をはじめ左派を幻滅させ、分裂させた。大統領選に向けて左派の統一候補づくりを呼びかけた市民の動きもあったが失敗し、社会党内の複数の立候補者(来年1月に候補者選)に加え、左翼党(メランション)と緑の党(ジャド)など、候補者選に参加しない複数の候補者が既に出馬を表明している。多数の候補者の中から来年4月までに、左派のリーダーとして頭角を表す人物が出てくるのか分裂が進むか、まだ不明である。また、オランド政権内でネオリベラル政策を進めたマクロンは、さらにネオリベラルな経済路線と「新しさ」を打ち出しているため、中道派や政治にあまり関心のない層(若い世代など)にアピールするかもしれない。
さて、12月4日に行われたオーストリアのやり直し第二次大統領選では、無所属(リベラル系エコロジスト)のファン・デア・ベレン(53,6%)が極右・自由党のホーファーに勝ち、EU諸国をほっとさせた。しかし、歴史的な2大政党が第一次投票で敗退したこと、すでに政権参加の経験をもつポピュリズムの自由党が「反難民、反エスタブリッシュメント」を唱えて、5月の第二次投票では僅かな票差で2人に1人のオーストリア有権者を獲得したことは、深刻な現実を表している。今後もこの政党は、オーストリア政治に影響を与えつづけるだろう。男性、低学歴層(男性)、農村部の過半数は自由党候補に投票したと分析されているが、社会民主党を見放した労働者層のなんと85%がホーファーに投票したという。
同日、イタリアの上院改革についての国民投票では6割近くが否決を表明し、レンツィ首相は辞任した。反対の理由は、レンツィと政権に対する反感(五つ星運動、北部同盟などポピュリズム)、改革による権力集中に対する拒否、経済政策への不満、EU政治への反発など、複数の理由と要素が働いたと見られている。
EUに押しつけられる経済政策、格差の拡大、失業、雇用の不安定、難民の増加、汚職など、同じ要素から、ヨーロッパの各地でナショナル・ポピュリズムが強まっている。選挙で政権が変わっても状況が改善されないために、政治不信と、エスタブリッシュメントを代弁するメディアに対する不信感も高まるのだろう。選挙にはしばしば6割以上の人が足を運ぶが、白紙投票やボイコットをよびかける声もあり、2大政党制を軸にしてきた議会制民主主義はかなり疲弊している。コラム「民主主義をとり戻す」で書いたように、民主主義をラディカル(急進的)にする試みが必要とされているようだ。
2016年12月7日 飛幡祐規(たかはたゆうき)http://www.labornetjp.org/news/2016/1208pari
http://www.labornetjp.org/news/2016/1208pari